せこくかしこく

人生は金じゃないと自分に言い聞かせるため、幸せに生きるためのブログ

ナンパ師がナンパやめて本気で恋しちゃった話。

おかしい


スマニューからのアクセスが今月異常だ。


ブログの記事を更新して、
当日もその次の日も全然アクセスなかったのに。


ほんとに1とか2とかだったのに、、、、

急に60も来てる。


嬉しいけど意味わかんない。


このブログにたどり着いて、
ちょっとでも記事を読んでくれた人がいるなら、
どっから記事を見つけたのか書いてほしい。

それくらい気になりすぎて,

 

夜も眠れるし、彼女がいるからアクセスなんてどうでもいい。




さて、モツコリである。




前回の記事にちんぽさんという方からコメントをいただいた。

僕が性病になった話を今の彼女がしってるかどうかを記事にしてほしいといわれた。

以下、引用↓

モツコリ様へ

読み応えありました❗笑

なんか、いろいろ大変でしたね、、、💦💦

次の記事では、この一連の出来事を現在進行形の彼女がご存知なのかを教えて下さい🙇

次の更新、楽しみにしています。

 

 



正直、俺のすきにさせろよと思った。

めんどくせぇなと思った。

書いてやってもいいが、せめて、抱かせてほしい


ちんぽさんが女か男かしらないが、
ブスかイケメンか美女か知らないが、
抱かせてほしい。


僕に記事を書かせるということは、
それくらいの覚悟で来てほしい。

そんなのは冗談として、
じゃぁ要望に応えたいと思う。

ゲロ吐きそうなほどに面倒くせぇけど、
まぁ書いてやってもいい。

じゃぁナンパをしてた僕に彼女ができた話をする。

僕はいままで、いくつかナンパの記事を挙げてきている。


motukori.hatenablog.com

motukori.hatenablog.com

ナンパを知った話や、
ナンパを実行しようとしてだめだった話、
ナンパデビューがやっとの思いで出来た話、
ナンパで成功した話。
ナンパをやめた話。

どれも僕の感情が爆発している、
とても読み応えのある文章になっているはずだ。

けっして女性の人生の役には立たないし、
下品で、だらしない内容だと思う。


でも僕の本気の思いが通じた人には、
とても熱く、輝いて見えるはずである。


そんな読者に出会えればいい。
そう思ってブログを書き続ける。


ナンパも一緒だ。
自分の思いが通じる女とだけ遊べばいい。

ちんぽ


さてさて、
また話がそれた。


こうしてナンパをしてきた僕は、
実は、

同棲中のめちゃくちゃ優しくてかわいい彼女がいる。

僕がナンパを始めたのは大学2年生の夏頃で、
そこから3年生の冬、ハナちゃんに性病をもらうまで続けた。


大学では、
僕がナンパしてるのは巷では有名だった。

北海道札幌市という、とても狭い地域でナンパをやっていたため、
僕がナンパした女の子が、僕の大学内の人だったりしたものだ。


僕のナンパ手法は前も伝えたと思うが、

『すみません、ラーメンすきですか?』


いきなりこれだ。


この急すぎる声掛けは、
ツブヤキたがりの女の子には、
とにかく拡散された。



ちょWW今ナンパされたんだけど、
いきなりラーメンの話されたWWWW


みたいな。
ナンパ自慢も含めてこういうツイートがまわっちゃって、
僕がナンパする度に、


あ、ラーメンの人だ!
うちの友達のツイッターでみたWWW


っていわれたこともある。

とにかく一時期札幌の若い女の子の中では、

ナンパでラーメンの話をしてくる奴がいる

という共通の認識があった。



それくらい僕のナンパは大きくなっていた。

1年半くらいでおそらく2,000人以上には声をかけているため、
まぁ広まるかもしれない。


そんな僕もハナちゃんとエッチをして、
エイズ感染疑惑も浮上して、
大学4年の頃にはナンパをやめていた。


もはや過去の話ということで、
大学のサークルの友達には、
ネタ話としてよく使っていたものだ。


僕のサークルは童貞と処女が集まる、
イケメンやかわいい子など一人もいない、
根暗なテニスサークルだった。


大学入ればたぶん彼女ができて、
童貞も卒業できるのかなぁ、、

という淡い期待をもって
入ってきた陰キャラどもが、大半だった。


もちろん、環境が変わっても、
自分が変わらなければ童貞は卒業できず。

結局根暗なまんま、

童貞は童貞、処女は処女のまんま4年目を迎えていた。


しかしこの陰キャラサークルは急に変革の時を迎えた。
新しく1年生がサークルに入ってきたのだ。

ビックリするくらいかわいい女の子や、
バスケがめちゃくちゃうまい、イケイケの男の子たちが入ってきた。
いわゆる一軍といわれる、人生の勝ち組コースを歩む人種だった。

その中に、僕の今の彼女もいたのだ。

僕のサークルの同期や一個下の後輩たちは、
やっと春が来たといわんばかりに、
我先にと、1年生たちと仲良くなろうといていた。

が、

惨敗だった。


むしろ、途中から、

『え、お前ら、1年に手だそーとしてんの?』


みたいな、変な意地の張り合いに変わっていった。
とても見苦しい。


しかしそれが童貞のサガなのかもしれない。


そして悲しいことに、
1年生の女の子は、ほかの1軍系サークルの、
1軍系男子に口説かれたりする子も現れており、


童貞たちはヒガみにヒガんでいたのだった


ウチのサークルにいた童貞は、
血気盛んなダサい童貞だった。


僕はというと

ナンパで十分欲求が満たされていたため、
また、学内でもハナちゃんに手を出して恐怖の性病体験をしていたため、
1年生にどんなかわいい子が入ってきても、
手を出そうなんてことは思わなかった。


というか、
周りの男たちの気持ちわるい争いをハタからみて、
とても冷静になっていたのかもしれない。


そんな新しい風の流れも落ち着き、
大学のみんなを呼んで僕の家でお好み焼きパーティーをした時のこと。



その日、僕はパーティーの前に50万のバイクを購入したのだった。
バイクの免許を4月に手にいれ、5月にはバイクを手にいれた感じだ。

もともと原付(エイプ)を乗っていたため、
運転は慣れていた。
「エイプ 原付」の画像検索結果


お好み焼きパーティーは、
まさにそのバイクを同期や後輩たちに見せびらかすために催したのだった。


真っ赤なスポーティーなばいくだ。
VTR250という、初心者でも乗りやすく、みためもまぁまぁバイクっぽいやつだった。

クリックすると新しいウィンドウで開きます


僕は当日ヒーローだった。



学生で、バイクの免許をもってるやつは少ない


バイクのウシロに乗ったことある経験を持ってるやつも少ない



うわー!かっけー!
ウシロってのれんの?
のせてのせて?!!


本当にうれしかった。


僕は同期や後輩たちを順番に後ろにのせて、
近くの道を2~3周走ってあげるというサービスをしてやった。

この時すばらしかったのは、

1年生のかわいい後輩たちを、
ウシロに乗せてあげるという名目上で、
僕と二人っきりで、かつ後ろから抱きしめてもらえる特権をもっていたのだ。


ナンパをして経験を培ってたとはいえ、
結構な美人たちだったため、
かなりうれしいものだった。


この時気づいた。


バイクは女と二人になる口実を作れる最強の武器だ。


(今からナンパするやつはバイクも手に入れとけ。)

こうして、お好み焼きを終えたあと、
最終的に何人かを家までバイクで送ってあげることになった。


家が近いやつからおくってくことになって、
今の僕の彼女が一番遠かったため、
たまたま最後の順番になった。


ぼくは当時一切下心はなかったのだが、
お好み焼きが終わり、
最終的に静かになった部屋で僕と彼女の二人になったとき、
結構ドキっとした

かわいさがいつもより増しているじゃねぇか。

そうして、彼女を後ろに乗せて、
1時間くらいかかる道を二人っきりで帰った。
本当にえぐい遠かった。


帰りの道ではバイクに乗りながら、いろいろな話をした。


普通に二人きりで喋ったのはそれが初めてで、
僕は結構緊張していたため、
ナンパしてた時の話をべらべらした

おもしろおかしく話せる話はそれしかなかったためだ。

やはりナンパをいくらしても、
根っこは小心者なのである。

この日以降、バイクでどっかいこう というくだりができた。

彼女と遊ぶ機会が増えた。


バイクをめちゃくちゃ気に入ってくれたのだ。



彼女はいままで恋愛をしたことがなく、
下心のある男性は今まで何人もいたが、
全部断ってきたタイプの人だった。

恋愛とか、そういうのよくわかんない。
恥ずかしいし怖い。。。
と本人はいっていた。


男性と普通に2人きりで遊ぶのは初めてのようで、
自分からナンパしてた話をしてくるような男はとても珍しかったらしい

逆にそんな話をしてくる僕が、自分に対する下心がない人だという判断になったようで、
めちゃくちゃ心を開いてくれていた



僕は、絶対だめだと思いつつ、
完全に好きになっていた

理由は、とても優しい人だからである。


2年半付き合ってる今も思えるのだが、
僕の彼女は、僕が今まで出会ってきたどの人間よりも、
一番優しい人なのである
(僕にとってね。)


ビックりするほどに人間が出来上がっている。
道徳の最終形態かもしれない。


とにかくいいやつなのだ。

人を絶対に傷つけない。
傷つけてしまうかもしれない行為をめちゃくちゃ気にするし、
生き物に対する敬意もすごい。
物にあたるなんていう概念がない

もちろんイライラすることはあるのだが、
なんかこう、全部ぷぷぷって思えるかわいい感じのそういうやつなのだ。


あと、一つ言っておくが、

これは完全にのろけ以外の何でもない


とりあえず、
僕は恋をしていた

ナンパの時には味わえなかった思いだ。


すっごく純粋なこころ。


高校の時の恋はただ童貞を卒業したかっただけの恋だから、
たぶん、違ったはず。


エッチ目的とか、
下心とか完全に省いた


初めての純粋な恋なのである。




好きというよりは、
この人と一生一緒に過ごせたらどれだけ幸せなんだろう
という感覚である。


ピンとくるというよりは、
今までいろんな女を見てきたつもりで、
その中ですべての項目において、どんな比較をしても圧倒的な1位だったのだ。

僕がちいさいころから求めていた、
すべての理想が詰まった正解が目の前に現れた感覚といっていい。



僕は、この先どんなことがあっても、
この子以上の子とは出会えないという確信があった。


2,000以上の自分のタイプの女の子に声かけて、
こんな子がいたことはなかったし、
過去の人生を振り返っても、
自分の身の回りの人を見てみても、
誰も勝てる人はいない


自分がいろいろ探し回ってみた経験もあるからこそ
唯一無二と断言できる存在だった。


この、まったく恋愛感情を持ったことがない、
天使みたいな子と、僕はどうやって告白すれば付き合えるのだろう。

この悩みに尽きた。

最終的にでた答えは、

この子には僕の全てを話して伝えるという結論に至った。

僕が性病をもらった話も、

motukori.hatenablog.com

親父が自殺した話も、全部だ。

motukori.hatenablog.com


ナンパをしていたころの僕は、
とにかく女の子をいかに嘘つきながらキープするかを考えていたが、

そんなぬるーい感じでこの子とは付き合えないと
なぜかびっくりするくらいひれ伏していた
それくらい優しい純粋な子だったからだ。

僕のもう一個の葛藤

それは周りの目だった。


周りは童貞
だれも1年生と付き合うことに成功しなかった

もちろん4年が1年に手を出そうとする風に映ってしまう。

かつ、成功確率などきわめて低い

だれとも付き合ったことのない(付き合う気がない)女を、
ちゃらちゃら遊んできただけのブスが口説ける可能性など低すぎるのだ。

失敗して、噂されたらどうしよう。

僕はなんだかんだサークルで4年生という一番の上の立場が心地よかった


女の子たちとも仲良くできていたのは、
僕に下心がなく、ふざけてイジってくれる陽気な先輩 だったからだ。


そんなブランディングもすべてブチ壊れる
それくらい大きい賭けだった。

でも好きすぎる。

しかもこの子はいつか誰かにとられてしまう。

相当な美人だ。

他のサークルの一軍系男子も何人か声をかけ始めている。。。

今のところ僕のことをめちゃくちゃ面白い先輩といってくれている。。。

2人きりで遊べるほど心を開いているのは今のところ僕だけのようだ。。。。

でも、みんなにばれたらどうしようううううう。。。。。。




こんな感じでもどかしくてもどかしくて、
最強にダサかった。



んー続きは今度にしよ。


急にめんどくさくなったw


モツコリの片思いは続く。

 

どうやって彼女を手に入れたのか。

 

これ、けっこうなボリュームになりそうだし、

読む側の負担も考えてあげよう。

 

とりあえず、すぐに書くかはわからないが、

間にほかの記事も挟んだりするかもしれないが、

いつか書きたいタイミングで続きを書こうと思う。

 

 

安心してほしい。

僕は嘘はつかない。

 

文章を書くのが好きなアスペルガーだから、

問題ない。

 

 

ちんぽ。

 

 

おやすみ。

僕がナンパをやめた話。

おひさしぶりモツコリでござる


最近やはり仕事が忙しく、
家に帰ったら彼女とのイチャイチャタイムが始まったりで、
とてもブログを書く時間を作れていないモツコリでござる。


リア充ブリたいわけじゃないが、
必要以上にリア充ブるのが僕のサガだ。


この一週間、
アクセスはめっきりなくなり
もはや一番最初のうんこみたいな頃に戻ってしまった。



ブログリア充実になりたい、、、、



たくさんの人から称賛されたい。


も・く・じ

 

 

冒頭が長くなったが、

僕がナンパをやめた話をしてやる。


まだそんなにナンパのネタを書きまくってはいないが、
とりあえず先にやめた話が書きたくなった

僕がナンパをやめた理由、
それは性病になったからである。


なんて単純であろう。

しかし、下記にこれから書いていくのは、
ただ性病になってやめたんじゃない。

根がまじめな僕だからこそ、
考えて考えて至った結論なのである。


美味しい食べものは、
とっても心を満たしてくれるし、
幸せなきもちになる。
しかし食べ過ぎると太ってしまう。


ちょうどいいところでストップするのは難しい。


女も一緒だ。


いろんな娘とヤれたら、
そりゃ大変幸せだが、
ヤりすぎたら病気になる


いつか性病をもらう。


まぁこれはちょっと語弊があるかもしれないが、
とにかくヤリすぎたら性病をもらうのだ。


オーラルでも貰うんだから。

そういうものなのだ。


神様はそうやって、人間が何でもやりすぎないように、
ルールをつくってやがるんだ。


まだ中学生だった頃、
授業で、性病という存在を知ったとき、
神様は意地悪なやつだと思った。


オナニーを覚えはじめで、
セックスに憧れしかなかった僕に、
その事実はとても重たかった。



それから6年が経ち、大学生となってナンパを始めるようになった

motukori.hatenablog.com


まさか女の子と会話が自然とできて、
デートできて、
挙句の果てにエッチまでできるなんて、
当時は想像も出来なかった。
本当に夢がかなうとはこのことだ。

中学の時は、一切女の子と縁がなかったのだ。

 

性病になった話。


さてさて、そんなモツコリの過去の話はまた今度するとして、


性病は、男なら1度は経験したことがあるだろう。


ナンパをしている男なら、特に経験は多いかもしれない。
ナンパはやはり性病と関わりが深い。

ナンパでつれる女は貞操観念が低く
いろいろな男といろいろなことをしてしまう傾向にあるからだ。
(一般的にね)


生でやっちゃいけない。
でも生はやはりそれ相応に素晴らしい。


女よりは男の方が違いが分かるかもしれない。



僕もいろんな女の子と経験はさせてもらったが、
常に性病のリスクを背負ってナンパしていた。

僕は20歳まで性病になった経験がなかった。


ナンパした女の子といろいろしてきたが、
絶対に生ではやらなかったからだ。



やらなかった 






というのはであるから、
僕は性病をもらったわけである。



本当のことを話そう。



僕はしっかり生でやっていた


いや、しっかりという表現は適切ではないかもしれない。





しれっと。


しれっと生でやっていたのだ。



しかし、ただ単に生でやるのではない、
何重にもわたるセキュリティ確認


「経験人数何人?」
「生でやったことある?」
「今まで付き合った人数は?」


バカと思われる診断方法かも知れないが、
上記の質問をもっと遠回しに、
探り探り行うのだ。


なるべく女の子が本音を話しそうなタイミングで、
もうそりゃ違和感のない感じに。


この子はおそらく本当に経験が少ないはずだ!



自分の心の声的なやつからアンサーがでるまでは、
絶対に生ではやらなかったのだ。

※のちに記事でも詳しく書くつもりだが、
 ナンパで引っかかる女の子は、清楚で経験人数少ない子も多い。
 僕がやっていたナンパは、チャラチャラではない、
 努力家タイプのナンパであったためだ。


そうして、
いままで数十人と生でやってきたであろう僕は、
一度も性病にならずに、ただただナンパを楽しんできた。



しかしある日、事件が起こる。


僕はナンパしてることを公言しており、
特に同じ学校の人や、
サークルの仲間なんてのは、
全然対象でもなかったし、
同じグループ内に手を出すのは避けていた。



いま、避けていたとカッコつけていたが、
ただただチャンスがなかっただけなのだ。



ところがそんな僕にも
急にチャンスは訪れた。

同じゼミの、ハナちゃん



僕は、ゼミを通して仲良くなった、
となりのとなりの席の同級生と遊ぶ機会を手に入れたのだ!



ハナちゃんは

いわゆるヤリマン顔であり、
ヤリまんらしい軽めのノリだった。


しかし、しばらく彼氏がおり、
中々その彼氏と長く続いてたために、
誰も手を出すことはなかった。
しかも経験人数はその彼氏一人という、
ヤリまん要素たっぷりなのに、
ヤリまんじゃない、隠れヤリまんだったのである。

おそらく性に興味がでるのが遅かった系女子だ。


ゼミ仲間ということもあり、
僕にはハナちゃんが彼氏と別れたというニュースを一早く手に入れた。


すぐに遊ぶ約束を取り付けた僕は、
ナンパで培ったベッドインまでの流れを、
同級生にかました。


こんな簡単かよってくらいハナちゃんは簡単にできた

キスまでの流れは速く、
この前まで付き合ってた彼氏が、
初めての相手だということもしっており、
僕は構わず生で3回もしてしまった。


同級生で素性も知れた間柄




僕は完全に安堵しきっていた






その1週間後、
僕はおしっこをしにトイレにいった。



ビックリした。
あまりにも急だった。



自分の息子に、
ピリピリと刺すような激痛が走ったのだ。


何も知らずにすっぽんぽんの息子は、
いきなりの不意ウチに心身が乱れ、

息子から放たれた薄黄色のシズクたちは、床に墜落してしまった。

大事故だ。


火災が起きなかっただけマシだっただろう。
痛ましい墜落事故はニュースとかで見たことあるが、
まさか自分のこんなにも身近なところで起きてしまうとは。


さてさて、大変だ。




おかしい。


こんなことは今までになかった。


なぜだ。


ハナちゃんはちょっと前に、
処女を卒業したばっかの子と聞いていた。

モトカレが初めての相手だったハズだ。


経験人数 1人の子が、
性病にかかってるリスクなど、ほぼ皆無だ。


ナンパした子で、生で交わることとなった子の中に、
最大でも経験人数5人の子がいたが、

僕はその子から何もばい菌を貰わなかったのだ。


僕の今までの経験上、
ハナちゃんが性病をもっていることなど、
ありえないものであった。



後日ハナちゃんの友達から明確な答えを手に入れる。



ハナちゃんのモトカレは、
ホストだった。

北海道札幌市すすきののホストクラブで働くそのモトカレは、
結構なプレイボーイで、その界隈で有名らしい。


甘かった。


ナンパであれだけ遊んでいた僕は、
ナンパとは関係ない、身近な女から病気をもらってしまったのだ。


なんという間抜け具合。

性病は経験人数じゃなかったのだ。


貰うときは貰うし、
貰わないときは奇跡だったと思った方がいい。



さて、
もうこれ以上後悔をしても意味がない。

 


僕はこれからどうやってこの性病と向き合えばいいのだろうか。


僕の息子をいじめるこの性病はいったいなんなのだろうか。


いてもたってもいられなくなり、
僕は病院へ行くことにした。


しかし、どこの病院に行けばいいのかわからない。


初心者の僕には病院を見つけるのすら難しかった。


札幌 性病 で調べて
出てきた病院に片っ端から電話を掛けた。



「すみません。
 息子が痛がってます。
 今からすぐに診てもらえますか?」


こうして僕は
今空いてるらしき、性病専門?の病院に駆け込んだ。



病院についてみると、
患者らしき人がたくさん席に座って待っていた。


僕が言うのもなんだが、


「うわ、こいつらぜったい衛生面グチャグチャだろ!」


っていう見た目の方たちが多かった。


しかし端から見たら
僕も確実にそのうちの一人になっていたに違いない。


寝ぐせで図体のでかい男
下はスウェット
上はギラギラの蛍光ピンク
イギリスの国旗がプリントされた、だっさいデザイン。

勘違い全盛期の高校1年のときに
カッコイイと思って買ったTシャツだった。


さぁ、僕の診察の番がきた。



医者「どんな症状?」


モツコリ「息子がピリピリと痛みます。」


医者「よし、脱いで。」


モツコリ「え?。」



僕はとても恥ずかしい気持ちになった。


飲み会とか、ふざけたノリで全裸になることは、
いくらでも経験してきた僕だが、

こんな静かな病院という場所で、
男2人の空間で、
しかも相手は高齢

ちんちんを見て笑うような年齢ではない。



そんな相手に、
医者という立場を利用され、
パンツを脱がされるとは、
これ以上にない辱めだ。

 

躊躇してる暇はなかった。



すっぽーんと

音がなるのではないか、
ってくらいにズボンとパンツを同時に脱ぎ捨て、

僕の息子と目の前の高齢者が目を合わせた。


医者「ちょっとすみませんねぇ。」


すぐさまその高齢者は僕の息子を左手でつまみ、
理科の実験とかで使う、なんだっけあれ。


あの薄っぺらいガラス。

クリックすると新しいウィンドウで開きます
あれを僕の息子の頭に擦り付けてきやがった。


結構ビックリした。
自分の息子の頭が、ここまでメクリあげられるとは思わなかった。
なんかすごい力で押し付けられていた。


そうして、そのままガラスを顕微鏡で観察しやがった。


なるほどなるほど、
こんな調べ方なのかと、
性病童貞を捨てた気がした、21歳の夏だった。



そして僕に告げられた病名は、


クラミジア

「kuramizia」の画像検索結果


だった。


コイツの主な症状として、、、

男性の場合は、尿道から透明な膿が出る。痛みを伴う場合もある。
女性の場合はおりものが増える事があるが、自覚症状は乏しい。
喉頭感染では喉が痛くなり痰が増えたりするが、無症状の場合もある。

ウィキペディアさんがそうおっしゃられている。


僕の息子からは紛れもなく、膿が出ていた。
決して残尿や がまん汁の類ではない、
なんとも表現しづらい色の液体だった。


悲しかった。
まさか自分も性病に感染するなんて、、、



こうして僕の闘病生活が始まった。



ちなみに、

「自分は大丈夫。放置してたら痛みもなくなった。」


という人、一定数いるかと思うが、
クラミジア自然治癒しない


放置しておくと、
最悪失明とか、不妊とか、
そんな大打撃を食らうのである。


尿道が痛くなったことある人は、
ぜひ病院に行ってあげてくれ。


お前のちんぽはもう、腐りかけている。



そんなこんなで、
高齢のエロじじいから貰ったのは
ジスロマックという、クラミジアを殺す薬物。


こいつを1週間飲むだけで、
息子は激痛から解放されるそう。


でも、そんなのは問題じゃなかった。


帰り間際に医師がポロっといったセリフが、
僕の心を動揺させることになる。


「おつかれさん。とりあえず、念のためにエイズ検査とかも受けてみてね。
 クラミジアとかに感染してる状態だと、エイズも感染しやすいから。」



エイズ
エイズってあのHIVとかゆうやつ?
マイケルジョーダン的なやつ?



え、おれ、エイズ



一気に汗をかいた。


クラミジアはゲームで言えば、
手下的な弱いやつだった。
全然ボスじゃない。


序章でしかなかった。



僕の背の低い息子は、
更に縮み上がり、
僕の心も、不安でいっぱいだった。


こうして僕は医師から保健所を紹介されることとなった。

保健所はエイズ検査をただでやってくれるらしい。


病院から帰宅後、
静まり返った家で、ひとりボッチ、
エイズ検査について調べていた


エイズは簡単!保健所で無料ででき、採血をしてから1週間後に結果がでます。」


こんな内容が書かれていたのを覚えている。


一週間?



血を採った後、
一週間も待つの?
バカなの?


エイズに感染する確率は、0.1%とか0.001%とからしいのだが、
クラミジアに感染すると、その確率は何倍にもなる

まぁ何倍にもなったところで、
所詮1,000分の1も行かないくらいなのだが、


この時の僕にはそんな確率論など関係なかった。



僕がエイズ感染しているか、していないか。

この2択だけだった。


つまり、不安に怯える僕からしてみれば、
エイズに感染している確率は50%でしかないのだ。


もうこの2択が頭から離れず、
不眠症なんじゃないかってくらい寝れなかった。



保健所で調べてもらった方がいいよなあ。。。、
もしエイズだったらどうしよう。。。。

結果を出すのも怖く、
エイズに感染したらどんな初期症状が出るのだろうなど、
もう不安で不安でいろいろ調べていると、
ヤフー知恵袋で、こんな投稿をみた。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp



怖すぎた。
もうハナちゃんとのエッチどうこうじゃなく
ナンパしてエッチした女全員がHIVウィルスを持っていたように思えた。


保健所にいって早く結果を知らないとだめだ。
もうノイローゼ見たくなってる。
本当に頭がおかしくなりそうだ。
でも俺、本当に感染してたらどうしよう、、、、


この繰り返しだった。
本当に当時はきつかった。


1ヵ月近く悩みまくった挙句、
とうとうエイズ検査に行く決意が出来た。


その直後である、
僕は違う投稿を見つけた。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp


エイズ検査をするには、
ハナちゃんとのエッチした日から、
3ヵ月は時間が必要らしいのである。


エイズ抗体検査らしい。


ウィルスに感染し、
2~3か月してやっとそのウィルスに対する抗体ができるらしいのだ。


その抗体があるかないかをチェックする検査のため、
抗体ができてない状態で検査しても、
結果は陰性(感染していない)となってしまう。


ハナちゃんとのエッチのあと、すぐに検査を受けても、
抗体ができてない限り、そいつはエイズじゃない扱いになってしまう

逆に言うと、エイズエイズじゃないかの不安はぬぐえない。


僕は不安マックス挙動不審ピークの状態から、
更に2ヵ月待つことになった。

バイトも集中できず、
死ぬほどつらかった。

こんなに不安に生きるのは、精神が削れる。
削れるという表現が我ながらうまいと感じる。


ナンパでメンタルが強くなったと思っていたが、
どうしようもないくらい弱かった。

メンタルに成長など無いのかもしれない。


まぁいろんなことで気を紛らわせながら、
どうにかこうにかハナちゃんとエッチしてから3ヵ月ちょうどを迎えた。


とにかくダッシュで保健所に向かった。



そこには2~3人の、
これまた僕から見てみれば、
性病まみれにしか見えない人達が、
自分の採血の番をまっていた。

もうそのあたりからあまり覚えてないのだが、
緊張しすぎて真っ白だったのだが、

とにかく看護師にムカついたはずだ。


終始笑顔で、
しかしその笑顔が他人事のような笑顔で。


ビビりまくっていた僕は、

「その注射機からエイズ移ったりしないですか!?」

なんて大声で聞いてしまった気がする。

とにかく採血をした。


看護師「それでは来週、おまちしております。」



ふざけんな。



知ってはいたけど、
笑顔でそんなこというな。


みなさんも知っておいた方がいい。
採血してからの一週間が一番こわい。


あとはただただ結果を待つだけだからだ。


勇気をもって俺は3ヵ月耐え続けたのに、、、、

あと一週間かよ、、、、、



そんな虚しい思いを看護師にぶつけるわけにはいかず、
僕は心を押し殺して、帰宅した。

さみしかった。。。

孤独だった。


笑顔でヘラヘラしてるやつとすれ違ったりすると、
そいつがうらやましくてうらやましくて。。。


俺よりももっとブスで、
デブで、童貞の友達がうらやましくてうりゃましくて、、

ここまで他人に生まれ変わりたいと思ったことはなかった。


性病で激痛に見舞われ、
絶望のふちに立ったと思ってから
さらに2ヵ月、

そこからやっとの思いで辿りついたと思ったら、
さらに1週間。



なんて長かったんだ。


僕はやっと検査結果を見れる権利を得た。


そう。

ハナちゃんとエッチしてから
3ヵ月と1週間が経った。


保健所に再び向かう僕の足は、手は、唇は、

ぶるっぶるに震えていた。

大抵の女の子であれば僕に触れただけでイってしまう。
そのくらい震えていた。

とにかく初ナンパの時より震えていた。

motukori.hatenablog.com


モツコリさ~ん

看護師が他人事な感じの笑顔で、僕の名を呼んだ。



結果を知る瞬間がきた。




答えは2択だった。



看護師は勿体ぶった。

検査結果の見方とか、
感染してた場合の対処法とか。


いやいや、結果みてから感染してたら教えろよ。


そんな不満はたくさんあったが、
3ヵ月と一週間待ち続けた僕には、
一瞬な気もしたからなんとか耐えれた。


看護師「それでは結果をみてみましょうか。」



モツコリ「はい。。。。。」



看護師「感染していれば、陽性。感染していなければ陰性となります。」



モツコリ「はい。。。。。」



看護師「この冊子の3ページ目に、答えが書いてあります。」



モツコリ「はい。。。。。」


看護師「この冊子の1ページ目には、、~」



モツコリ「あの、もう待てません、、、見せてください。死にそうです。」


やっぱり耐えれなかった。



看護師「ふふふ、では3ページ目をみてみますよ。」




ぺらっ



そこに答えはあった。


答えは陽性だった。

 


モツコリは目の前が真っ暗になって崩れおちた。





看護師「違いますよ。よく見てください。陰性です。」



僕は陽も陰もコザトヘンから始まるということを忘れており、
なぜかコザトヘンが見えた瞬間に  と判断してしまったようだった。

完全なる見間違いだった。


しかし、看護師に答えを告げられた瞬間、
この3ヵ月間、鉛のように重かったプレッシャーから、
一気に解放された


生きている!



おれは生きているぞおおおおおおおおおお!!!!




こうしてモツコリは生気を取り戻したのだった。


その後


これ以降、僕はナンパもやめたし、
彼女以外の女性とエッチをしなくなった。



なんと小物であることだろう。



ナンパブログを書いてまだ数週間の僕は、
ナンパをやめた話をもう書いてしまった



しかしこれだけは言える。



どんなにかわいくても、
どんなに経験人数が少なくても、
絶対に生はいけないのである。


楽しくナンパをしたい人は、
ぜひしっかりゴムをつけてくれ。


あの不安に耐えれる人間はそうそういない。


僕はたまたまエイズには感染していなかったが、

僕と同じ状況に追い込まれ、
挙句の果てに陽性という答えがでてしまったヤツもいるのが現実だ。


その時の気持ちを想像すると、
本当に恐ろしい


僕はあの時感染していないという事実のおかげで、
もう2~3年 エイズについて深く考えもしなくなった。


しかしあの時、
陽性という反応が出ていたら、

僕はあのときからずーっと今まで、
エイズのことしか考えられなかっただろう。

薬を毎日のみ、自暴自棄になり、
ノイローゼ+うつ病になっていたかもしれない。


そう考えると、非常に恐ろしい。


ナンパはいつからか気軽にできるようになるが、
絶対にゴムをつけろ。


お前らのちんぽはそんな安全じゃない。

(女の子も同様。ちんぽには気を付けろ。)

 


以上が、ナンパをこれから始めるサルたちに向けていえる、
唯一の僕のアドバイスなのである。



長くなったが
以上である。




久しぶりにブログを書いた僕は、
ナンパをこれからしようとしていた人の

背中をそこまで押すことは出来なかったもしれないが、、、


あくまでゴムさえつけてれば、
感染はほぼしない。


エイズはキスで感染しない。


唾液で観戦するとすれば、
バケツ一杯くらいのよだれを相手から吸収して
やっと少し感染確率が上がるくらいだ。



安心してくれ。



そう言い残して、
今日は終わりとする。





ぽんぽろぴーーーーーー

電通の自殺のニュースをみて、僕もまじめぶりたい。

やぁやぁ

ブログをゆっくり書けそうだし、
今日は初めてまじめなテーマで書くことにする。

■自殺がめちゃくちゃ取り上げられてる。

最近の電通がニュースですごい。
過剰請求と自殺問題が一気にメディアにとりあげられてる。。


特に自殺がえぐいし、話題になっていて、
いろんな人の意見をブログで読んだ。


まじめなことを書いてると大人っぽいし、
社会のこと考えてる感もあって、
やっぱりそれらのブログはいい感じに人気だ。

kurashi-no-blog.hatenablog.jp


僕は結論から言うと、
死ぬのはもったいないと思う。
いつでも死ねるし、
超簡単じゃんって思う。

それより、もうちょい生きてみて、
別の世界を見てみようとか、
新しい行動に踏み切る勇気をだしてみたり、
できねーんかなと思う。


うつ病の人はそうゆう思考ができないのも知ってるけど、
それでも死ぬのはもったいない。
ブっ叩いてでもそいつの目を覚まさせたい。

まぁ、きれいごとだよな。

絶対ぶったく勇気ねぇわ。


悲しいことだが、
うつ病は連鎖することが多い。
うつ病になった人の発言を毎日聞かされると、
家族までうつ病なったりもする。

自殺なんてされた時には、
それが家族に与える心理的ストレスはハンパじゃない


■僕の自殺にまつわる経験

「自殺」の画像検索結果


僕はというと、
高校生の時、
親父が自殺をしている。

練炭自殺ってやつで、
自分ちの駐車場の車の中で、
煙をたくさん吸って泡を吹いていやがった


親父はうつ病を3年間発症し、
とうとう自殺

当時緊急病院に搬送されたころは、
生き残る可能性が1%もなかった

一酸化炭素中毒ってやつで、
確か致死量の2~3倍くらい脳に一酸化炭素がたまってたとか。

当時うつ病というものに理解がない僕は、
不機嫌でネガティブな親父が嫌いで嫌いでしょうがなかった。
死ね といったこともあるし、
殺したい と本気で思ってたこともあるはずだ。

でもこの時は、
頑固で、なんだかんだ気合が入っていた親父が、
あまりにボロボロで号泣してしまったのを覚えてる。

どんなことがあっても、
どんな形でもいいから死ぬな

と何度もICUで叫んでいた記憶がある。


■親父は自殺の天才。


結果、生きることが不可能と言われていた親父は、
超重度の記憶障害が残ったが、
今ではピンピンしており、
犬の散歩も一人で行けるようになった。

10分前に話してたことを忘れたり、
自分が犬の散歩にいったか、
飯をくったか、
寝たかすら覚えていない。
でも彼はうつ病の時より確実に元気だ。

悩んだことも、
悲しいことも、
すべて忘れれるのは、
神様がうつ病の親父を都合良い感じに直してくれた
としか思えない。

そう。親父は都合の悪い自分だけ殺すことに成功したのだ。

天才的な自殺。

『自殺者の中ではなかなか幸運かもしれない。』

本人もそう言っていた。


神は信じないし何の信仰もないけど、
この奇跡の連発には、北海道の超有名な医者にも驚かれた。
それほどに出来た話だということだ。

そんな親父ともう7年以上一緒にいる母親もまた神様かもしれない。

夜中に起こされて、俺飯食ったっけ?とか聞かれる生活を、
母親はもう3,000日くらい過ごしてる。

毎年実家に帰る度に、

親父の記憶可能な時間が伸びているのがわかる。
去年戻ったときは、最高で記憶してられる時間30分くらいになってた。


親父には何を言っても忘れるから、
逆に前よりいろんな話や、
母親に話さないような秘密の話もできる仲になった。

話をしている最中のその瞬間その瞬間は、
普通に正常な50年の人生経験をもった父親であるため、
いい感じのアドバイスがもらえたりもする。


そんな、幸運な自殺者から聞ける話は、
とても興味深い。

何でうつになったか。
どんな気持ちだったか。
なんで練炭にしたのか。
なんで家族を残してでも死にたかったのか。
なにがそんなに不満だったのか。

結構普通に笑って話せる僕と親父は中々頭がおかしいかもしれない。


■敏感でびんびん


そんな、昔の親父を殺し
新しい親父となって生まれ変わった日から7年近く、
僕は自殺やうつ病の類のニュースには敏感になった。

大学の卒論も、
うつ病にまつわる内容だったし、
僕の人生はうつ病と関わりが深いかもしれない。

うつ病は脳の細胞の働きや、神経の動きで発症するため、
うつ病になりやすい脳というのもある。
つまり親父の脳みそを引き継いでる僕は、比較的うつ病になりやすい。
うつ病は遺伝するのだ。


そんな僕にとって、
社会人生活はとても不安だったし、
うつ病になったらどおおおおしよおおおおおおおおおお
と不安で不安でおっぱいだった。

だが、たまたま新卒入社で入れた今の会社は、
とても人がよく、働きやすい

もちろん悩むことも多いし、
自信を無くすこともある。

でも何とか食いつないでるうちに、
最近仕事も楽しくなってきてる
昨日の記事で書いたとおりだ。

motukori.hatenablog.com




そんな僕にとって、
今回の電通の自殺問題はとても懐かしく、新鮮だった。

死んだ人はとってもかわいそうだと思うし、
僕にもいつかそんな時が来るかもしれないと、やはり今も不安だ。


でもまだ社会に出てもいない就活生はもっと不安かもしれない。


だれにでもうつ病になるとか言われたら、
不安で不安で社会人になるのも怖い。

ブラックだったらどうしようとか、
ベンチャーはやっぱつらいんだろうなとか、
マイナスの考えが大きい。

そんな就活生がもしこのブログを読んでくれていたら、
今日はアドバイしたい。
すごく上から先輩ぶって、アドバイをしたい。

女の子だったらぜひ惚れてほしい

それくらいアドバイス感のあるアドバイをしたい。


■とりあえず僕の就活の話から始めさせてほしい。


就活時代を振り返って思うのは、
僕は初めてナンパした時と同じくらい勇気を振り絞って就活していた。

motukori.hatenablog.com



就職ってのは、自分の人生が大きく変わる
とっても大事な分岐点になる。


『仕事内容はどうでもいいです。何でもやります。
 面白い人・楽しい人が多い会社で働きたいです。』


そんなことを就活をしていた頃、よく言っていた気がする。


絶対人生を棒に振りたくない。
だが、具体的にしたいことは何もない。

仕事なんて何やってもどうせ楽しくないだろうし、
ナンパをしてきた経験を生かして、
とりあえず営業ができれば何でもいい

あとは、

一緒に働く人がどれだけ楽しそうな人か。

これだけだった。


僕の就活の軸は、

面白い人、楽しい人がたくさんいそうな会社

というものだった。


すごくシンプル。
すごく明確。

どこでもいいけど、
なんとなく独断と偏見で、一番楽しそうなところを選ぶ


■就活生が悩む、大学時代のエピソード


僕はナンパの話をした。

一番頑張ったことも、
一番つらかったことも、
一番楽しかったことも。


ぜーんぶナンパの話
これで内定くれる会社に出会うまで、

就活をし続けようと思った。


僕はこういう人間ですと最大限表せるのが、
ナンパの話だったからだ。

様々な感情の波や、
それを乗り越えて成功したときの達成感など、
営業の本質に近いし、イケるという確信があった。


僕のナンパに対する考えは、
他人が考えるそれとは異次元なほどに
エネルギーを放っているから、
これがエピソードして武器になると考えたのだ。

結果は今振り返れば本当に大成功だった。
今の会社を転職する気は全く起こらないし、
最高のベンチャー企業に入れた。


まぁ気持ちはいつ変わるかわからないが、

とにかく今は楽しくやっている方だ。


■自殺をしないために大事なこと。


そんな僕が考える、
生涯自殺をしないための就活の注意点は、

勇気を出すのを忘れないこと。

これがめっちゃ難しい

これに対して、自殺はめっちゃくちゃ簡単
いつでもどこでも一人でもできちゃう。
目を閉じて電車に飛び込めばいいし、
高いところから落ちるだけ。
終わりが見えるし、すごくシンプルだ。


さっきも言ったが、
就職は人生の分岐点

今からあなたは勇気を出していろんな会社を受けて、
勇気をだして自分のエピソードを話し、
勇気をだして最終面接に足を運び、
勇気をだして最後の戦いをやり切るのだ。


結構勇気が必要だ。


でもここら辺は誰にでもできる。
それは結構簡単。

なぜなら、
何かの分岐点に立たされた時に、
勇気を振り絞ることは簡単だから。

あたりまえじゃん。

これから何かしなきゃならない瞬間が来てるのだもの。

それよりも、入社してから勇気を出す方が難しい。


続ける勇気。

これが絶対大事。


仕事は辛いに決まってるんだから、
理不尽に決まってるんだから、
だから勇気をもって毎日朝を迎えなきゃならない。

会社に行くのがだるくても、つらくても、怖くても、
がんばって続ける勇気を持たなければならない。

ここで崩れる人が多い。
うつ病になりやすい。

うつ病の原因としてイメージしやすい、
典型的なパターン

慣れてくると勇気を出すという概念がなくなる
緊張感がなくなったとき、人間は勇気を出しにくくなる

考え方も固まってしまう。
働かなくなった脳みそは、生きる活力を失う

うつ病のきっかけは、心が緊張しなくなった時であると考える。

安定してる心は何かをきっかけに傷つきやすい
何かをきっかけに、一気に崩れやすい

勇気を振り絞ってる瞬間の、
ナンパしてる瞬間のあの僕は、1%もうつになる気がしないが、

何もせず、土日の昼間にぼけーっとしてるときの僕は、
1%くらいはうつ病になる可能性を持っている気がする。


勇気を振り絞って頑張ってるあのドキドキの瞬間が多ければ多いほど、
人はイキイキするし、絶対に生きる上で大切。

 

 


続ける勇気はとっても大切であることが、
少しは分かってくれただろうか。

 


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■そして、もういっこ大事なこと

僕の親父ができなかったのは、

あきらめる勇気。

続ける勇気をうまく使いこなし、
なんとかなんとかやりくりしてきた人ほど、
一番出すのが難しい勇気かもしれない。

親父はこの壁を超えることができずにうつ病を発症したといっていた。

電通の女の子も、
続けることが大事という観点しかなかったために、
自殺をする羽目になった。

本当にでっかい壁を前にしたときにあきらめれる勇気は自分にあるだろうか?


今までいろんな壁を乗り越えてきた自分に、
どんどんでかい壁を乗り越えれるようになってきた自分に、
いきなり壁を乗り越えるのをあきらめれる勇気があるだろうか。。。。


成功体験があきらめる勇気を出すことを邪魔してしまい、
あきらめようとする自分を呪いだしてしまう

30代後半から40代にかけて男性のうつ病が多いのは、
ちょうどこの壁に打ちひしがれるからだろうと思う。

僕の親父がまさにそれだったからだ。


20代にいろんなことをあきらめてると、
自殺にはつながらないかもしれない。
就活もしないかもしれない。
僕の考える 人生 とは別の生き方になるかもしれない。


でも就活して、就職して、社会人になるってことは、
勇気の出し合いのレースに参加することを意味する。

決して自分のペースっていうのは存在しない。
しかも下手すりゃとっても孤独に感じるレースだ。

そりゃもう寂しい寂しい。

一人えっち後の虚無感
何倍にも膨れ上がったものを想像してほしい。

ゴールが近づけば近づくほど、もう走れない状態になってしまったときに、
自分を嫌いになるだろう。


しかし生きるためには、レースから降りる選択が大事ということも忘れない方がいい。

今就活中のあなたは、ぜひ就活中に出せた勇気
社会人になっても出し続けることを忘れないでほしい。


モツコリからのアドバイスなのである。




以上。


惚れた?



惚れてほしくて書いた。



さてさて、
明日自殺でもしよーかな


親父、教えてくれ!






冗談冗談

お休み。


また明日。

 

 

すみませんでした。